m6a1c4k2y3の日記

普段あまり歩かない者が旧東海道をひとりで歩くとどうなるかを検証

旧東海道踏破に挑戦(第一日目)

会社の連休を利用して、長年の夢であった“東海道五十三次踏破”に出かけました。
あとに続く方もいると思い、経験談を記したいと思います。

第二回は“第一日目”の道中を書きます。

天気は快晴。Tシャツに薄手の長袖シャツを羽織り、薄茶色の綿パンの出たち。
リュックを背負い、自宅を出発。
日本橋までは電車で行く。
日本橋には9:00までに着くようにした。
平日だったので通勤時間と重なる。大きなリュックは少し邪魔になったが背負わず抱えて日本橋に到着。

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端のたもとで日焼け止めを塗り、スマホの万歩計アプリを起動させ、ズボンのお尻のポケットに。旧東海道の道順を記したガイドブックを片手にもち、バケットハットを被って、今日のゴール保土ヶ谷を目指していざ出発(9:30)。
銀座方面に向かって国道1号線を歩きだした。
通勤の人たちの間をハイキングファッションで足早に通り抜けた。銀座の街並を抜け、新橋を抜けたあたりでトイレによりたくなった。コンビニに入り、店員にトイレを借りたい旨を伝えると、“トイレはない”と言われた。あきらめて次のコンビニに入り、同じ質問をすると同じくなし。この辺のコンビニにはトイレがないことが分かってきた。また少し歩くと、店内にカウンターがあり、イートインできるコンビニを発見。こういうところはありそうだと思い、聞いてみると、ビンゴ!
ミネラルウォーターを購入して片手に持ちながらコンビニを出る。
JR田町駅に近づくと左手に「西郷・勝会見の碑」の前を通過する。そしてしばらく歩くと前方に緑の障害物が見えてきた。“高輪大木戸跡”だ。

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ここが江戸との出入り口。木戸は治安維持のため夜は閉められたそうだ。
JR品川駅前を過ぎる。
この先でJRの線路をわたり、旧街道に入る。地元の商店街といったところだが、ようやく情緒がでてくる。

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旧道に入るとすぐに“問答河岸跡”の碑がある。ずっと商店が並ぶ。

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休憩を兼ねて喫茶店にはいり、一服。
コーヒーブレイクのあと少し行くと品川本陣跡に到着。

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そこを過ぎてすぐ目黒川にかかる橋に出る。

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その後はほぼ真っ直ぐな商店街がどこまでも続く。
商店街がなくなると静かな住宅街が続く。
そして。。。
有名な鈴ヶ森処刑場跡に出た。処刑された人たちの慰霊碑の前で拝む。

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その先で一旦第一京浜に合流。平和島口交差点を斜め左に入り、仲町商店街に入る。途中に「旧東海道」の標石が。
商店街を抜けて大森警察署前交差点そばのファミレスに入り、昼食。ランチを食べながらスマホアプリで歩く速度をチェック。ペースは遅くはない。40分ほど休憩して出発。
ここでトラブル発生。大森警察署前交差点は第一京浜産業道路が交わったところであった。ファミレスが産業道路寄りにあったようで、進むべき第一京浜ではなく産業道路に方を進んでしまっていた。5分程度歩いて、「違うかな?」と思い、数少ない商店に入って「前の道は第一京浜でしょうか?」と聞いてみた。産業道路であることがわかり、第一京浜に出る道を聞いて軌道修正。あぶないあぶない。。。。
ここからの歩きが結構つらかった。6月初旬とは言え、直射日光は強く、だだっ広い第一京浜にはほとんど日陰がなかった。バケットハットは大いに役立った。しかし、日本橋から16kmを過ぎたあたりから、多摩川を目の前にして歩くのが非常につらくなった。第一京浜沿いには手ごろな休憩場所もなく、仕方なく歩き続ける。右手には先ほどから京浜急行が走っていた。歩き方を変えたりしながら歩き続けたが、少し足が麻痺している感じがしてきた。蒲田右手の京急駅を過ぎたあたりで「このまま歩き続けたら今日の目的地の横浜に着く前にギブアップしそう」という不安が頭をよぎった。今日のゴールは保土ヶ谷であったが、保土ヶ谷周辺に宿がみつからなかったため、電車で横浜に戻って一泊する予定だった。また保土ヶ谷にたどり着けなくとも横浜には行けると高をくくっていた。
緊急手段としてマッサージをしてもらうことを考えた。24時間テレビのマラソンランナーが途中途中マッサージを受けながら長い距離を走っていたのを思い出したからだ。右手に京急雑色駅が見えた。第一京浜から右手のアーケードの商店街に入る。整体・マッサージ店を探す。治療院ではなく、何分間いくらでやってくれるところを探した。疲れた足で商店街の端までいくが見つからず、第一京浜方向に戻る。「あーっ、ないや」と諦めかけたとき、『初回1600円』という看板が目に入り、飛び込む。店内はきれいで、先客のおらず予約なしでもすぐにはじめてもらえた。事情を話し、歩けるようにしてほしい旨を伝えると若い店主は丁寧に応えてくれた。30分の予定であったが、店主が納得ゆくまで揉み解してくれた。優に40分は超えていたと思う。おかげ様で足も軽くなり、横になって休憩もとれたので元気が回復。店主に感謝したい。
店を出てすぐに新六郷橋多摩川を越えた。

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橋を越えたら側道から橋の下を横切り、再び旧道に入る。ここも商店街通りだ。まもなく川崎の田中本陣跡に辿りついた。

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途中コンビニでトイレ休憩し、ウィダーインゼリー(ミネラル)を買って飲みながら歩く。京急八丁畷のあたりでどちらに行くか確認するため、パン屋さんに道を聞く。踏切を渡ればいいと教えてくれた。踏切を渡るとすぐに“人骨慰霊碑”があった。碑の前で合掌し、真っ直ぐな道をしばらく歩くと“市場村一里塚跡”の石碑が目を引いた。日本橋から五里にあたるらしい。

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鶴見川をわたり、京急鶴見駅前に出る。そこからベルロード鶴見商店街に入る。商店街を過ぎると民家の街並を抜ける道に。“生麦事件”発生現場を通過する。

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生麦一丁目の信号でまた第一京浜に出る。
ここからはとくに何もない第一京浜沿いをしばらく歩く。
足の疲れがまた溜まってきており、途中バス停のベンチで休む。すでに17時を回っており、保土ヶ谷まで歩く力と時間が残っていなかった。今日は横浜の宿までたどり着くことをゴールとした。この段階で二日目の宿泊地である平塚のホテルの予約をキャンセル。
神奈川本陣跡を見逃してしまい、右手の宮前商店街に入ると京急神奈川駅に到着。

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青木橋を渡り第二京浜を渡り、旧道に入る。急な坂道を少し上がると広重の東海道五十三次の浮世絵にある神奈川宿の場所に出る。料亭田中屋は今も昔の面影を残していた。

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“神奈川関門跡碑”を右に見て、上台橋のところで一日目は終了とした。

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ここから横浜駅方面に向かい、本日の宿であるグランパークイン横浜に向かった。

 

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