旧東海道踏破に挑戦(第五日目その2)
会社の連休を利用して、長年の夢であった“東海道五十三次踏破”に出かけました。
あとに続く方もいると思い、経験談を記したいと思います。
第七回は“第五日目”の道中の続きです。
ちょうど昼ごろに芦ノ湖(元箱根)に到着したので、日暮れまでに三島到着を目指します。
芦ノ湖畔沿いの舗装道路を少し歩くと一里塚の碑があり、旧東海道杉並木に入ります。
ここは杉の大木に囲まれたのどかな道です。
杉並木を抜けると箱根関所跡の看板が目に入ります。
その案内板を右に入ると箱根関所への道が開けます。
もう目の前に門が見えます。
関所を通るには通行料が必要です。
関所の脇にあった茶屋で櫛団子を頂きました(結局これがこの日の昼食になりました)。
関所見学を済ませて、三島へ向かいます。
道はいつの間にか寂しい山道に。
入口には石仏があり、これは箱根で最も古いものらしいです。
このあたりは『向坂』というようです。
再び石畳の道が現れます。
しばらく進むと『赤石坂』の立て札があります。
続いて『釜石坂』。
この付近の杉並木は江戸時代のものだそうです。うっそうとしています。
まだまだ続く石畳。今までと同様、誰とも遭遇しません。
めちゃくちゃ急な山道の階段です。
『挟石坂』の立て札が。
三島まであと16km。まだ難所が続くとあります。今上ってきた階段を振り返るとこんな感じです。
ここに限らず箱根の旧道はまったく観光化されていません。
国道に出ました。坂になったY字路を右の道へ。このあたりが昔の箱根峠です。
少し坂を下ると『箱根峠』の交差点があります。国道沿いを少し歩くと古めかしい門があります。
ここをくぐると整備された遊歩道が続きます。途中『新箱根八里記念碑』があります。そこから少し歩くと、箱根旧街道の道標があるので、ここを左に入ります。
入るとすぐに東屋があり、少し休憩できます。
そして道はやぶの中へ入っていきます。
“竹藪”ですね。何か出そうな世界です。
道幅が広くなりました。石畳の下り坂がずっと続きます。
一旦国道に出ますが歩道が石畳風になっていました。
再び妖怪のでそうな茂みの道へ入ります。
『徳川有徳公遺跡碑』と書かれた石碑が暗闇に鎮座。その昔、八代将軍吉宗はここの茶屋で休憩し、永楽銭で支払ったという言い伝えがあうそうです。
しかし茶屋があったとは信じられない藪の中です。そのすぐ先には小田原攻めの際に秀吉が兜を置いたといわれる兜石があります(手前にあったが移設されたようです)。
この旧道はとても薄暗いです。
6月ですが道は落ち葉でいっぱいです。
そして石畳の長い下り坂となります。
両側の木がなくなり少し開けたところに出ました。
農家の軒先を通って左に曲がると国道に合流。
国道を少し歩いて左側の急な階段を下りてゆきます。
石畳の道が続きます。
再び舗装道に出て少しのところに休憩施設があり、トイレを兼ねて一服。
石畳の道はまだまだ続きます。
しかし、富士見平付近でまさかのアクシデント。旧道が工事中で通行止め。
国道1号を歩くはめに。この方が二倍以上余計に歩かなければならなくなりました(旧道の方がショートカットでした)。
眺めもたいしたことのないただの舗装道をトボトボと歩きました。ようやく工事区間の出口に到着。長かった。。。
そして再び旧道に入ります。
今度は明るい石畳の道が続きました。
途中から石畳が終わり、舗装路となりました。
民家の間を抜けます。
この下り坂は急でした。気を付けないとつま先を痛めます。
しばらく何もない県道を歩き、狭い旧道に入ります。車は通れない狭さです。
また県道に出て、しばらく歩くと右手に旧道の入り口がありました。
ここもうっそうとした竹やぶの道です。
また県道に出ます。
三島まであと4kmほどです。
『箱根路の碑』のある塚原新田の交差点から国道脇の歩道を歩きます。この歩道は近年につくられた石畳(旧街道のフェイク)となっていて、なぜかとても歩きにくい道です。
しばらく行くと、今回の旅で初めて昔と同じ、道の両側に榎の木でできた一里塚があり、感動しました。
疑似石畳の道は続きますが人とすれ違うことはまずありません。
この交差点から少し右手に入り、国道からそれた旧道に進みます。
でも道は相変わらず歩きにくいフェイクの石畳の道です。
やっと終わりました。
東海道線の踏切を渡ります。
三島市街に近づいた雰囲気になりました。
浮世絵に出てくる新町橋を渡ります。
ここを渡るといよい三島宿に入ります。
三島大社に到着。
本日の宿はこの先なので、今日はここで終了です。
何とか日暮れまでに到着し、ほっとしました。
一日で箱根を越えられて満足でした。そして箱根の山越えは一大アドベンチャーの体験でした。