m6a1c4k2y3の日記

普段あまり歩かない者が旧東海道をひとりで歩くとどうなるかを検証

旧東海道踏破に挑戦(第八日目)

会社の連休を利用して、長年の夢であった“東海道五十三次踏破”に出かけました。
あとに続く方もいると思い、経験談を記したいと思います。

第十回は“第八日目”、この一連の旅の最終日の道中です。
新幹線で東京に戻りたいため、ゴールを府中宿(静岡)にしました。14.6kmの行程です。距離が短いため、いつもより朝は健康ランドのモーニングを食べてゆっくりしてから出かけました。昨日とはうって変わりとてもよい天気です。

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いにしえの建物が目を引きます。

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興津宿の案内板です。

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東本陣跡です。

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西本陣跡です。

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見た目がすごいお寺がありました。清見寺です。五百羅漢があります。

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旧道を歩いていきます。

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延命地蔵尊です。

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地方らしい街道です。

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右の道が旧東海道

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分岐のところに「ほそいの松原」の看板が。

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まっすぐな道が続きます。

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道沿いには昔のままと思われる格子枠の茶色い家屋が多く残っています。

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江尻宿に入りました。

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魚屋さんの店先には“出漁中”の立て札が。自ら獲ってきて売ってるようです。

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クリーニング屋の看板に『農具・鍬修理』の文字が。東京では絶対ありません。

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江尻の町に入りました。近くには清水漁港があります。

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“江尻宿シャツ”の幟がありました。記念に買う気にはなりません。

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江尻宿の説明がありました。

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巴川を渡ります。

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旧街道は右の方です。

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暑いです。

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いつも望んでいた茶屋がありましたが、タイミングがよろしくなくパスしました。

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近くに元禄八年(1861年)創業の追分羊羹の店があります。
清水次郎長に仇討ちされた吉兵衛の供養塔です。

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金谷橋をわたります。

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真っ直ぐな道が長々と続きます。

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前にもみた東海道の看板。

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とにかく暑い。この季節はあまりよくないかも。

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ひときわ目立つ静岡銀行のビル。

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草薙神社の大鳥居。でっかい!

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とにかく暑い。体力を奪われます。

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この辺りは植木屋が並びます。

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日陰がないんです。つらい。

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県総合運動場駅。

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東海道本線東海道新幹線の線路にぶつかり、旧東海道が途切れます。

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右手の地下道を潜り抜けて、線路の反対側に出ます。

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この地下道は狭いのに車も通っています。

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反対側にでると旧東海道は続いています。

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後久橋を渡ります。

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府中宿まで3.3kmとあります。

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旧道は右側の細い方です。

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単調で平坦な道は退屈で却って疲れます。

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長沼の一里塚跡。日本橋から44里目です。

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右手に静岡鉄道が走っています。二両編成でした。

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国道1号に合流。そこには巨大な商業施設がありました。

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またJR東海道線を横切ります。

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今度はガード下を通り抜けます。

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府中まで0.9kmです。

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それにしても暑い。日陰が欲しい。

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水を見ると涼しく感じます。

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あと少し、頑張ろう。

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府中宿に入りました。ゴールを祝福してくれるように涼しい風が吹いてきました。

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駿府の街並を説明する図がたくさんありました。

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静岡の市街地になりました。

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府中宿に到着!

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ガイドブックによると府中は不忠に通じるから改名されたらしい。
近くには駿府城があります。

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静岡駅が見えます。
ここから新幹線こだまで帰宅します。お疲れさまでした!
さて帰りは疲れた身体を新幹線のソファに預け、途中の停車駅までの時間が瞬く間であることを気にしながら、如何に現代の移動が楽で早いかを実感していました。

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日本橋~府中間約180km。
7泊8日で踏破した距離を現在は1時間30分ほどで移動できてしまった。
おそよ150年でここまで文明は進歩を遂げたのだ、と実感できた。
電車を降りて、駅に隣接した百貨店の上にあるフルーツパーラーでパフェを食べて今回の旅を締めくくります。

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次回はいつになるかわかりませんが、今回の旅で右足の親指と左足の中指の剥がれた爪が生えそろったら続きを始めます。それは京都に到着するまでは終わりません。その時またお会いしましょう。

 

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旧東海道踏破に挑戦(第七日目)

会社の連休を利用して、長年の夢であった“東海道五十三次踏破”に出かけました。

あとに続く方もいると思い、経験談を記したいと思います。

 

第九回は“第七日目”の道中です。

沼津のビジネスホテルから電車に乗ってJR吉原駅で下車したところから出発します。今日の目的地は興津です。約25kmの道のりです。

七日目にして初めて天気が崩れました。雨です。結構降っています。今まで毎日同じ格好をしていましたが(毎日洗濯していました)、今日はカッパをその上に被っていきます。

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JR吉原駅前には多くの通学の学生がいました。

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途中二回目の「左富士」が見える名勝に差し掛かりましたがあいにくの天気で話しになりませんでした。

しばらく行くと私鉄の吉原本町駅の改札前を通過します。

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このあたりはJR吉原駅周辺と違い繁華街となっています。

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商店街を歩きます。

天和二年(1682年)創業の鯛屋旅館の前を通ります。

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ここは山岡鉄舟清水次郎長の定宿だったらしいです。宿泊代はリーズナブルで、沼津ではなくここに泊まればよかったと後悔しました。

雨の中、いつもより歩くのには難儀します。

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ガイド本に従って相当歩くとようやく富士川に出ました。

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雨のため川の水量は多いです。

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昔は街道一流れの速い川だったようです。

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富士川にかかる橋は歩道があるのですが、舗装状態が悪くたくさんの水たまりができています。通気性のよいスニーカーでしたので靴底に通気用の穴が空いており、小さな水たまりでも踏んでしまうとすぐに水が靴下に浸みてしまいました。

富士川を越えると常夜灯があちこちに見られました。

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どれも江戸時代のものです。

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“常夜灯街道”の途中、今まで見たなかで“最もそのまま”残っている一里塚を発見。

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道の両側に榎の木が。日本橋から37里目の岩淵の一里塚です。個人的にはとても感動しました。

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その先にはまた常夜灯が残っていました。

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明治天皇がご休憩された石碑があります。

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東木戸跡には常夜灯があり、蒲原宿に入ります。

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いつも間にか雨は上がっていました。

諏訪橋の山側には何やら巨大なパイプが走っていました。

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蒲原宿は往年の雰囲気が感じられます。

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江戸時代の旅籠がありました。二階の櫛型の手摺は江戸時代のままのものだそうです。

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現在はお休み処と鈴木家の二軒に仕切られています。

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お休み処で休憩させてもらいました。

カッパの中は蒸れて汗だくだったので、ここで上に着ていたものはすべて取り替えました。

気さくな女主人とご近所のマダム3人がいらして、軽い会話をしました。二階に上げて頂き、二階の軒先からは道の反対側にある本陣跡が眺められました。建物としての本陣跡はこれがはじめてです。

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おいしいコーヒーもいただき、残りを歩く元気をもらえました。

次の由比宿はすぐでした。一里塚跡を過ぎたころから、“桜えびのまち 由比”の表示が目にとまるようになります。

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七里役所跡というものがあり、石碑に書かれた説明を読むと驚きでした。

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由比宿本陣跡の隣に大きな休憩所があり、ここで串だんごと煎茶で一服。これこそ当時っぽい。

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私がまだ子供のころ永谷園のお茶漬けのりに景品として入っていた東海道五十三次のカードが展示されていました。なつかしい。

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休憩所のすぐ隣にある由比本陣跡です。

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門の手前には常夜灯、門の脇の小さい堀には亀がいます。

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脇本陣(うどん屋)です。

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桜えびの看板が目につきます。

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海が見えましたが、天気が悪いせいでぼやけています。

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国の有形文化財 名主の小池邸です。

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だんだんと道が細くなり、田舎道になります。

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ビワ農家が目につきます。

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間の宿本陣跡です。

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間の宿とは休憩のみで宿泊はできません。

この先の右手の坂を上っていくと薩埵峠です。

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びわ畑の中を通っています。

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左手は海です。

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薩埵峠道標です。

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箱根の再現です。ここが旧東海道です。

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左側は急な崖です。

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このあたりが薩埵峠です。

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下り道に入ります。石畳はありませんが箱根の山道を彷彿させます。

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山を下り切ると両側が墓地の間にでます。

広い道に出たら右に曲がり常夜灯のある角を左に入ります。

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寂しい道をしばらくいくと今日の宿泊地が見えてきました。

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興津橋を渡ったらすぐに右の小階段を下ります。

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この先の突き当たりを右に行くと興津宿ですが、左折して宿に向かいます。

今日はここまで。明日は最終日となります。

 

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旧東海道踏破に挑戦(第六日目)

会社の連休を利用して、長年の夢であった“東海道五十三次踏破”に出かけました。

あとに続く方もいると思い、経験談を記したいと思います。

 

第八回は“第六日目”の道中です。

三島を出発します。今までの経験から今の私が一日に歩ける距離は20km程度なので、23.2km先の吉原宿を目指します。

県道145号を西へ進みます。

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まずは三島宿の本陣跡(世古本陣跡)

道を挟んだ反対側に樋口本陣跡。

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源兵衛川を流れる源兵衛橋。富士山からの湧き水らしく水はきれいです。

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地域性のない平凡な道が続きます。

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昔ながらのこうじ製造所

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常夜灯です、弘化三年(1846年)とあります。

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松並木が続きます。

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護良親王の首を葬り祠を建てたと言われる智方神社の常夜灯。

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すぐに黄瀬川を渡ります。

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しばらくはとぼとぼ歩き、東下石田の交差点で県道380号に出ます。

その後二ツ谷東の信号を左手に入ります。

左手に狩野川が流れていますが高い堤防で見えません。

しばらく行くと江戸から30里目の一里塚が右手に現れます。

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復元したもののようですが当時の姿を彷彿させます。

沼津歩道橋を渡り、川廊通りに入ると沼津宿に入ります。

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通横丁の交差点を右折したらすぐに左折します。

商店街の中に本陣、脇本陣跡の碑が立っています。

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静岡銀行のところを右折します。

その後は県道をひたすら歩きます。

日本橋から31里目の一里塚跡の石碑です。

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いい加減足が疲れてきましたが、休む場所がありません。

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前方にセブンイレブンをみつけまたので、トイレ休憩。

ようやく原宿に到着。

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しかし特に何もありません。近くに交番でこの辺で食事ができるところを聞き、少し旧道から逸れますが歩いて地元のチェーン店に入りました。ようやく座って休憩ができました。

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昼食をとり、少し元気が出て吉原宿に向けて県道163号を歩きます。

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どこまでも続くまっすぐな道。

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2kmごとに茶屋があると助かるのですが。

また疲れてきましたが、休む場所がありません。

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歩いている人も誰もいません。車もほとんど通らなくなりました。これでは街道沿いに商店はできないでしょう。

JR東海道線がすぐ脇を走っています。

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バス停がありました。時刻表をみるとほとんど来ません。

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富士市にはいりました。

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右手にJR東田子の浦駅が見えます。

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駅前は何もありません。

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まっすぐな道が延々と続きます。休憩したい。。。

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ようやくJR吉原駅に着きました。今日はここまでとします。

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今日の宿は沼津駅前のビジネスホテルをとったので、ここから電車で沼津へ戻ります。明日は電車でここに戻って再開します。

夕食は沼津駅前のスーパーで購入した寿司と缶ビール。お店で食べたかったのですが、どこも賑やかで一人で入りにくかったので。

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旧東海道踏破に挑戦(第五日目その2)

会社の連休を利用して、長年の夢であった“東海道五十三次踏破”に出かけました。

あとに続く方もいると思い、経験談を記したいと思います。

 

第七回は“第五日目”の道中の続きです。

ちょうど昼ごろに芦ノ湖(元箱根)に到着したので、日暮れまでに三島到着を目指します。

芦ノ湖畔沿いの舗装道路を少し歩くと一里塚の碑があり、旧東海道杉並木に入ります。

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ここは杉の大木に囲まれたのどかな道です。

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杉並木を抜けると箱根関所跡の看板が目に入ります。

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その案内板を右に入ると箱根関所への道が開けます。

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もう目の前に門が見えます。

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関所を通るには通行料が必要です。

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関所の脇にあった茶屋で櫛団子を頂きました(結局これがこの日の昼食になりました)。

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関所見学を済ませて、三島へ向かいます。

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道はいつの間にか寂しい山道に。

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入口には石仏があり、これは箱根で最も古いものらしいです。

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このあたりは『向坂』というようです。

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再び石畳の道が現れます。

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しばらく進むと『赤石坂』の立て札があります。

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続いて『釜石坂』。

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この付近の杉並木は江戸時代のものだそうです。うっそうとしています。

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まだまだ続く石畳。今までと同様、誰とも遭遇しません。

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めちゃくちゃ急な山道の階段です。

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『挟石坂』の立て札が。

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三島まであと16km。まだ難所が続くとあります。今上ってきた階段を振り返るとこんな感じです。

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ここに限らず箱根の旧道はまったく観光化されていません。

国道に出ました。坂になったY字路を右の道へ。このあたりが昔の箱根峠です。

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少し坂を下ると『箱根峠』の交差点があります。国道沿いを少し歩くと古めかしい門があります。

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ここをくぐると整備された遊歩道が続きます。途中『新箱根八里記念碑』があります。そこから少し歩くと、箱根旧街道の道標があるので、ここを左に入ります。

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入るとすぐに東屋があり、少し休憩できます。

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そして道はやぶの中へ入っていきます。

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“竹藪”ですね。何か出そうな世界です。

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道幅が広くなりました。石畳の下り坂がずっと続きます。

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一旦国道に出ますが歩道が石畳風になっていました。

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再び妖怪のでそうな茂みの道へ入ります。

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『徳川有徳公遺跡碑』と書かれた石碑が暗闇に鎮座。その昔、八代将軍吉宗はここの茶屋で休憩し、永楽銭で支払ったという言い伝えがあうそうです。

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しかし茶屋があったとは信じられない藪の中です。そのすぐ先には小田原攻めの際に秀吉が兜を置いたといわれる兜石があります(手前にあったが移設されたようです)。

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この旧道はとても薄暗いです。

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6月ですが道は落ち葉でいっぱいです。

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そして石畳の長い下り坂となります。

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両側の木がなくなり少し開けたところに出ました。

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農家の軒先を通って左に曲がると国道に合流。

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国道を少し歩いて左側の急な階段を下りてゆきます。

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石畳の道が続きます。

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再び舗装道に出て少しのところに休憩施設があり、トイレを兼ねて一服。

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石畳の道はまだまだ続きます。

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しかし、富士見平付近でまさかのアクシデント。旧道が工事中で通行止め。

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国道1号を歩くはめに。この方が二倍以上余計に歩かなければならなくなりました(旧道の方がショートカットでした)。

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眺めもたいしたことのないただの舗装道をトボトボと歩きました。ようやく工事区間の出口に到着。長かった。。。

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そして再び旧道に入ります。

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今度は明るい石畳の道が続きました。

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途中から石畳が終わり、舗装路となりました。

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民家の間を抜けます。

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この下り坂は急でした。気を付けないとつま先を痛めます。

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しばらく何もない県道を歩き、狭い旧道に入ります。車は通れない狭さです。

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また県道に出て、しばらく歩くと右手に旧道の入り口がありました。

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ここもうっそうとした竹やぶの道です。

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また県道に出ます。

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三島まであと4kmほどです。

『箱根路の碑』のある塚原新田の交差点から国道脇の歩道を歩きます。この歩道は近年につくられた石畳(旧街道のフェイク)となっていて、なぜかとても歩きにくい道です。

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しばらく行くと、今回の旅で初めて昔と同じ、道の両側に榎の木でできた一里塚があり、感動しました。

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疑似石畳の道は続きますが人とすれ違うことはまずありません。

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この交差点から少し右手に入り、国道からそれた旧道に進みます。

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でも道は相変わらず歩きにくいフェイクの石畳の道です。

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やっと終わりました。

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東海道線の踏切を渡ります。

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三島市街に近づいた雰囲気になりました。

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浮世絵に出てくる新町橋を渡ります。

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ここを渡るといよい三島宿に入ります。

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三島大社に到着。

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本日の宿はこの先なので、今日はここで終了です。

何とか日暮れまでに到着し、ほっとしました。

夕食は、三島で有名な『桜屋』のうな重をフンパツしました。

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一日で箱根を越えられて満足でした。そして箱根の山越えは一大アドベンチャーの体験でした。

 

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旧東海道踏破に挑戦(第五日目その1)

会社の連休を利用して、長年の夢であった“東海道五十三次踏破”に出かけました。

あとに続く方もいると思い、経験談を記したいと思います。

 

第六回は“第五日目”の道中を書きます。この日は一気に箱根を越えて三島を目指しますが、写真が多いため、今回は元箱根(芦ノ湖)までを記します。

 

昨夜は箱根湯本駅そばの素泊まりの宿に泊まりました。大浴場の温泉につかることができ、疲れを癒すことができました。

朝は5時半ごろ起床して前日にコンビニで購入したサンドイッチを食べ、昨日の終点三枚橋へ。天気は昨日までとうって変わり曇り。少し小雨も降っていました。

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三枚橋を渡るとまもなく道は急な坂道となりました。しばらく歩くと右側に「石畳入口」の案内が見えました。ここからいよいよ夢にみた箱根の旧道です。

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山道に石の舗装路がつづきます。

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小さな木橋がありました。

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流れているのは川かと思いましたが湯気が出ているので、温泉と思われます。

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街燈らしきものはありますが夜は怖くて歩けないような道です。

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まもなく石畳は終わり、普通の舗装道路(県道)に出ました。しばらくこの道を歩きます。

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次第に道が細くなり、民家の間を通ります。狭くても路線バスが通っていました。

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鎖雲寺のところに小さな滝がありました。

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“女転ばし坂”の石碑がありました。旅の女性が落馬して死亡した坂とのことです。実際の坂は関東大震災で崩落してしまったようです。

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県道をしばらく歩くと右側に「須雲川自然探勝歩道」の標識が現れ、ここからまた石畳に入ります。

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石畳では誰とも一切会いませんが車が走っていない分安心して歩けます。

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少し行くとまた県道に出ます。

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少し歩くと左側に「箱根旧街道」の標識を見つけますのでここからまた石畳に入ります。

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途中小さな木橋が小川にかかっていました。昔は石橋がかかっていたようです。周りはジャングルの様相です。

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途中NHKブラタモリ』でも放送された“石畳の排水路”を見つけました。

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再び県道に出ました。

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畑宿村に入りました。寄木細工で有名な場所です。

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これから“七曲り坂”があることを示した看板がありました。

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ここにベンチがあったのでリュックを下ろして一休み。

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少し歩くとまもなく旧道への入り口があります。ここを入ります。

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再び石畳。

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かなり急な坂がどこまでも続きます。

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途中石畳が県道の上を通ります。

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またありました斜めの排水路。

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坂の標識を多く見かけます。

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少しだけ七曲り坂(県道)に出ますがすぐに左手の急な階段を上ります。

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この石段は急な階段が長く続き、結構しんどいです。

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振り返るとこんな感じです。

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階段を上り切ると“見晴らし茶屋”に出ました。

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今日は曇っていたのですが、それでも眺めはよかったです。

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今更ながら旧東海道のガイド本があって助かります。これがなければ旧道を探すのは難しいと思います。

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“猿滑坂”は上ること一町余り。今は階段ですがそれでもきつい。

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続いて“追込坂”。こちらはゆるい坂が二町余り。

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坂を上りきると何とも素晴らしい自然の中の道に出ました。

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いつの間にか天気も回復していました。うぐいすも鳴いています。左手に県道があり、“甘酒茶屋”があります。

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いい感じの道が続き、“猪注意”の看板が。

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またまた石畳の坂が始まりました。

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寂しい山道です。

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県道を横切りすぐにまた石畳の旧道へ。

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ここの石畳は今までのものと比べてきれいに整っていました。皇女和宮が家茂に降嫁する際に改修されたためのようです。

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この部分の石畳は今までになく長い。

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こんなに道幅が広い石畳になりました。

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しばらく行くと長い下り坂になりました。

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元箱根まであと500mです。

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下り坂が続きます。

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江戸時代はこの場所から芦ノ湖が見えたようですが、周りの植物が生い茂って見えません。

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結構きつい下り坂です。

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下り坂が終わると杉の大木の並木道にでます。

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ケンペル・バーニー碑がありましたが、この人たちのことは知りませんでした。

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12:00 元箱根に到着。

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ここで少し休んだら、箱根関所跡へ向かいます。

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箱根路はアスファルトの平地を歩くのに比べてずっと楽でした。恐らく山道を歩くのは使う筋肉も今までとは異なり、ジム通いの成果も出たようです。

 

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旧東海道踏破に挑戦(第四日目)

会社の連休を利用して、長年の夢であった“東海道五十三次踏破”に出かけました。

あとに続く方もいると思い、経験談を記したいと思います。

 

第五回は“第四日目”の道中を書きます。

 

昨夜は当初の予約が無償でキャンセルできなかった芦ノ湖畔の宿に泊まりました。温泉かけ流しの貸し切り湯に入れたので疲れもだいぶ癒されました。ちなみにここもできるだけ旧街道から離れていない宿を選んだつもりですが旧道からは徒歩では結構離れていました。箱根で宿を探すときは慎重にした方がよいと思います。

朝は5時半ごろ起床して前日にコンビニで購入したサンドイッチを食べ、最寄りのバス停から始発のバスで出発。しかし大磯まで戻るまでの時間が50分ほどかかりました。小田原でJR東海道線に乗り換え、JR大磯駅に到着。そこから少しだけ歩いて旧東海道(国道1号 大磯駅入口)に出ます。

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今日は箱根湯本を目指します。まもなく小島本陣跡がみつかりました。

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照ケ崎海岸の信号を渡って直進し住宅街の道を進み突き当たるので右手に進むと問屋場跡の案内があり、進とすぐにまた国道に戻ります。国道沿いには高札場跡の掲示板が民家の塀から出ていました。

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そのまま国道はゆるやかな坂が続きます。

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まもなく左手に風情のある古民家が表れ、日本三大俳諧道場のひとつである鴨立庵とありました。

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そして国道は松並木の道に。東海道らしい風情に。

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少し行くと伊藤博文の邸宅である後滄浪閣の碑が。

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そして道祖神のすぐ近くを“血洗川”が流れていました。何やらいわくがありそうな川です。

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城山公園前の信号から国道を離れ右手の道に入ります。ここまで日差しが強い中、沿道には日陰もなく、また足がつらくなってきていました。

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この旧道は昔の面影が残っていましたが、日陰がまったくないため、気持ちよく歩くわけにはいきませんでした。途中一里塚跡があり、日本橋から17里のところまで来たことがわかります。

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そして再び国道1号に合流。とくに何もなく日陰もない長い長い道を疲れた足を引きづって歩きます。二宮を過ぎてから一旦国道から逸れて旧道に入りますがすぐにまた国道に戻されます。国道1号沿いに日本橋からの距離がありました。頑張ってる割りにまだこんなもんか、と少し落胆。

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押切橋のところで左手にこの旅ではじめての海が拝めました。

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車がビュンビおろュン通る国道の左側の歩道を歩くとしばらくは海が見えているので少し気が晴れて元気がでました。

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そろそろお腹もすいてきたのでこの沿道沿いに食べるところがないか気にしていると2km先にガストがあるという看板を見つけました。もうだいぶ足に来ていてつらかったのですが、ガストまでは頑張ることにしました。歩いていたらガストより1km先に地元の魚で握っている、はま寿司の看板を見つけました。どうせならこちらがいいと思いましたが、もうそこまで歩く力がなさそうなので諦めることにしました。森戸川を越えると再び松並木が現れガストが見えました。

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ここの松は大木でした。ガストの店の前にも松の大木が。

ガストで食事休憩をとり、再び暑くて単調な国道を歩きます。やはり足の調子はよくないので途中ドラッグストアで買った薬を塗りました。これで結構歩けるようになりました。マッサージよりいいかもしれません。酒匂川を渡ります。

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ここは昔、橋も渡し船もなかったとのことです。しばらくとぼとぼ歩いて山王橋を渡ります。

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反対側をみるとすぐ海です。

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もうまもなく小田原宿の端っこに到着です。

小田原の宿場町に入りました。

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清水金左衛門本陣跡には明治天皇がここで休憩されたことが記されていました。

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宿場町を抜け、箱根口の信号あたりから道路が微妙に上り坂になってきました。

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板橋見附の信号を右に入ります。

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旧道です。途中にぎわっている手作り豆腐の店がありましたが味わっている余裕はありません。

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日暮れまでに今夜の宿をとった箱根湯本に着かないといけません。味わいのある格子窓の民家を目にするようになりました。

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その先で再び国道1号に合流。

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左手に早川が流れる。しばらく歩くと右手に踏み切りがあり、これを渡って旧道に入ります。

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のどかな山間の民家の前の道を進みます。

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だんだんと山間の感じがでてきました。風祭のあたりはのどかな感じでとてもいいです。日陰もあって風も吹いてきたので歩きやすいです。

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前方に箱根山が見えてきました。

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上流のせいか川の流れにも勢いがあります。

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渋い家並みが続き、箱根登山鉄道の踏切を渡ります。

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近くに入生田駅が見えます。コンビニやお店の類はまったくありません。

その先で再び国道1号に出ますが、すぐに右側の階段を上り、擁壁の上を歩きます。

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少し歩くと再び国道に合流。

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湯本まであと少し。

しばらく歩くと見覚えのある形が目に入りました。小田急箱根湯本駅です。

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三枚橋のところまできて本日の行程は終了です。

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今夜は湯本のビジネスホテルに泊まり、明日は箱根を一気に越えて、三島を目指します。

 

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旧東海道踏破に挑戦(第三日目)

会社の連休を利用して、長年の夢であった“東海道五十三次踏破”に出かけました。
あとに続く方もいると思い、経験談を記したいと思います。

第四回は“第三日目”の道中を書きます。

前日は早めにホテルに着き、食事、洗濯を済ませてゆっくり休みました。前日に近くのコンビニで買ったサンドウィッチを早朝に食べ、6:20ごろ出発。天気は快晴。服装は毎日同じ。
藤沢橋まで戻り、旧道に戻る。最初に目に入ったのは高札場跡。

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復元したもので場所も少し違うとのこと。藤沢橋は旧東海道沿いではなく、遊行寺橋を渡ります。

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旧道の何かのBOXに昔の写真が印刷されています。

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藤沢宿の京都寄りのはずれにきました。

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いい感じのカーブの道を進みます。

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街道の松の木か?と思える光景が続きます。

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右の道にはいると大山道と書かれた古い道標を見つけました。

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倒れそうなので、木の棒で抑えていました。

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平塚を目指して歩いていると、東海道で数少ない左側に富士山が見えるところに来ました。しかし残念ながら富士山は見えませんでした。この季節はもやがかかっていて見えないようです。寒い季節なら拝めたようです。

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国道1号を歩いたなら日本橋から60kmの地点に来ました。旧道だともう少し多く歩いたのではないでしょうか。

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相模川を渡ります。大きな川です。

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平塚駅前交差点につきました。

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ここでちょっと休憩。足の疲れがまたひどくなっています。
ふと交差点のビルを見上げると“マッサージ”の看板が。
今日は日曜なので、平塚駅にくるまで休みのマッサージ店を数件みましたが、ここはやっているようなので入りました。40分うほど受けて少し軽くなりました。
平塚の商店街はパレードの最中でした。旧道添いの商店街は屋根つきでよかったのですが、それを抜けると太陽の暑い日差しがきつくなりました。平塚宿脇本陣跡があります。

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続いて本陣跡

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これまでもそうでしたが、強い紫外線を浴びると体力を消耗します。なのでできるだけ日陰を歩くようにしますが、旧東海道は両側とも日陰のない状態が多く続きます。バケットハットを被らないとたまったものではありません。平塚から大磯までは日陰のない暑さとの闘いが続きました。

ようやく大磯宿の端あたりに来ました。

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国道1号を右に入ると、ようやく静かな昔の旧道らしい道に入りました。

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並木道なので日陰も多くありました。

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背の高い松の木が並びます。

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この松並木の道を抜けると間もなくJR大磯駅入口交差点につきました。

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次の小田原宿までは15.6m。そこまで行って三日目を終わろうか悩みましたが、箱根の宿は旧東海道沿いにはほとんどないこと(宿に行くために余計な距離を歩かなければならない)、箱根越えを湯本から一日かけて三島まで一気に行く方が無難と考え、今日はここまでとしました。
実は、当初3日目の到着は箱根の芦ノ湖畔としており、そこに宿を予約していました。今回予定通り到着できないことがわかり、当初予約の宿はキャンセルをかけたのですが、この芦ノ湖畔の宿だけキャンセル料なしでのキャンセルがきかなかったため、この日は仕方なく大磯駅から電車とバスで芦ノ湖畔まで行き、その宿に宿泊します。かけ流し温泉があるようなので足の疲労がとれることを期待しました。明日はバスと電車で大磯駅まで戻り、続きを歩きます。

 

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